キラッキラのアイドルが好き

8J黄金期世代の生粋のジャニオタが母になる

「チケットをお取りすることができませんでした」

ジャニヲタが一番聞きたくない言葉。そう、
「チケットをお取りすることが出来ませんでした」

 

当落確認が電話しかないっていうのも非常に面倒くさい話だ。
近年やっとFCを更新したらメールでお知らせが来るようになったというのに、ここだけはまだ電話。(ふぉ~ゆ~の舞台が電話確認も出来ないチケットか返金かという合格発表並みのドキドキ感なのでそれに比べるとまだマシな方なんだろうけども)


一体わたしがどれだけ岸くんに電話をかけたと思っているんだ。

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ここでフルネームではなく「くん」付けしているところに電話帳登録当時の冷静さを伺える。

 

まず当落開始のお知らせがメールで案内された途端に
「ただいま大変込み合っております」と言われる。
まぁそんなのこっちは承知の上で掛けてるのだから、はいはいオーケーわかってるよーと唱えながらすぐに切ってリダイヤルを押す。

そんな温厚なのははじめの20回くらいまでで、それを過ぎると阿修羅のように掛けまくる。指が動作を覚える様はまるで経理の電卓打ちのようだ。
「しばらく待ってお掛け直しください」と冷静な声で対応してくれるのはいいものの、しばらくってどれくらいだろう?という怒りに近い疑問も沸く。こっちはすでに3桁かけてんだいと思いながら再びリダイヤルボタンを押す。すでにスマホは熱を持ち始めているが、弱っているスマホに鞭打つ形で同じ動作をさらに100回以上繰り返す。ごめんな、スマホちゃん。
当落確認なんて、チケットを取るための電話じゃないんだから、しばらく待ったら繋がりやすくはなるんだと思う。思うけど、知りたい。すぐ知りたい。

 

申し込んだチケットが当選か落選か、現場に行けるか行けないかは現場至上主義のジャニヲタにとっては死活問題だ。
これで夏の動きが変わってくるし、社会人なら有給申請にも関わってくる。遠征だったら早割出来るかどうかの問題も浮上してくる。
だからいくら「しばらく待ってお掛け直しください」と言われたって素直に待てない。待てるもんなら待ちたいが、残念ながらアラサーは生き急いでいる。

なかなか繋がらない中、周りが当落を聞いて、一喜一憂している姿をTwitterのタイムラインで見ていると余計に焦ってしまう。なぜこんなにも繋がらないんだと電話回線のせいにもする。
早い者勝ちの電話申し込みのチケットで、同じように繋がりにくい状況だったとしても、こちらはまだ申し込みもしていないので、必死に電話するし、そのための努力*1も惜しまないが、当落確認は待てば繋がるものだし、すでに結果が出ているので少し気が緩んでしまう。そのため、わたしは基本的には自分のスマホ一台で完結しようとする。
でもチケット取得するための電話とちがうところは、最初からドキドキが止まらないところだ。前者はドキドキというよりは、必死で電話をしているし、繋がってから実感が込み上げてきてドキドキする場合が多い。しかし、当落ははじめからドキドキだ。きっと不安要素も持ち合わせているからだろう。

1~2ヶ月あるいはそれ以上先の現場の予定が電話をすることにより明白になり、自担に会えるか会えないかが決まってしまう。
会えなかったらどうする?どう生きていけばいい?さながら人生の岐路に立たされている感はある。

今回450回以上電話をしたが、やっと繋がったときにはドキドキが胃痛に変わっていた。歳のせいではないと信じたい。
聞きたいけれど聞くのがこわい。アーティスト番号を押す指が震え、連続で変な数字を押してしまい、無駄なナビダイヤル代を取られたりもした。
アーティスト番号なんて覚えていないため、じっくりとアナウンスを聞くが、これこそジャニーズグループがこんなにいる時代なんだから電話番号2~3個用意してくれよって思う。
こっちは手数料とナビダイヤル代を取られているんだから、そろそろそういう面も着手して欲しい。もしくはもうちょっと早口で言ってもらいたい。早口で言ったらKAT-TUNなんかは「かつん」、NEWSは「にゅす」とか言われちゃいそうだけど。

 

メモの用意ができたら1を押してくださいと言う、ナビダイヤルなのに無駄に親切な文言を聞いてから言われたとおり1を押す。

「チケットをお取りすることができませんでした」

ここで一瞬頭が真っ白になり、ショックからスマホに浮かんでいる発信先岸くんという文字をずっと見つめてしまう。そうだ、わたしは岸くんに電話をかけているんだ……というお花畑発想には残念ながらならないのが当落の怖いところ。

そっかーマジかーって思いながらようやくスマホを操作しようとしたところで繰り返される「チケットをお取りすることができませんでした」という非情な通告。

わかっとるわい、と思いながらも2公演以上申し込んでいた場合、そのまま次の公演分の当落を聞くためにアナウンス通りに進める。
このとき既にナビダイヤルなんてことは忘れている。
さすがにもう1公演は取れているだろうという楽観視した自分と、次も外れていたらどうしよう、というネガティブな自分が共存していて、すでに結果は決まっているけれど、神に祈ったりもする。お願いどうか現場に行かせてください。
ジャニーズの神がいたとしたら色々文句を言いたことは山ほどあるけれど、そういうのもう言いませんからお願いします!

 

「チケットをお取りすることができませんでした」

(゜д゜)……。

 

まさにこの顔文字と同じような顔をしているんだと思う。
ショックすぎて言葉が出ない。この瞬間にこの名義がクソ名義なんだと思う。思わざるを得ない。

グループによっては1年に1度しかないツアーだったりもするわけで、自分のスケジュール的に入れる公演も決まってくるので、その1年、自担の現場に行けない、会えないという状況も出てくる。
半ばそれだけを目標に社畜と化していたり、日々を菩薩のようにやり過ごしている人も多いだろう。コンサートという場所はそれだけ夢と希望、興奮と感動、ストレス解消、色々な材料が詰まっている。

完全に運の世界になってしまうのだが、やはり、落選が続いてしまうと自分を呪ってしまう。厄年っていつだっけ?と【厄年 女性 早見表】でぐぐってしまったりもする。
不運を何かのせいにしたい。こんなにも日々頑張ってきたのに、会えないなんて…と、悲しみを一気に背負う。悲劇のヒロインだ。

そういえば、電話が繋がる前に見たTwitterのタイムラインは阿鼻叫喚の地獄だったなということを思い出して、泣けてくる。自分もそこの仲間入りかと。

ただ、こんなに競争率が高いなんて、そっかー人気になったなぁとどこか感動する自分もいたりする。特に年単位でそのグループを追っていると、余計にしんみりしてしまうことだろう。

「チケットをお取りすることができませんでした」

繰り返されるアナウンスは非情すぎた。


次に来る緑の返金封筒で、もう一度落選という事実を味わうのかと思うと、悲しかったりもするけれど、金欠極まりないので、早急に届いて欲しいと願う。
それくらい願ったっていいじゃない。

 

*1:携帯や家電ありとあらゆる方法を駆使して電話をする