キラッキラのアイドルが好き

8J黄金期世代の生粋のジャニオタが母になる

後悔してもしきれない過去の過ち

あれは1998年だったでしょうか。ちょっと物語ちっくに話したくなるくらいには遠い昔。自分も歳とったよなぁと実感。

城ホールでのコンサートが終わったあと、もう日も落ちて薄暗くなっている時間帯。駅前の歩道橋は帰りのお客さんたちでいっぱいでした。人が多くて歩き辛い中、当時高校生だったわたしから見るとだいぶお兄さんお姉さんな人たちがA5サイズのピンクの紙を配っていました。
「ジャニーズ情報です~どうぞ~」
みたいな感じで、通る人間にチラシを配っていたんですね。まだ高校生でヒロムのことはおろか何も知らなかったわたしは「ジャニーズ」と「情報」というふたつのワードにとても興味を持ち、気付いたらそれを受け取っていました。

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魔のダイヤル

タイトルは何だったか忘れましたが、たしか「ジャニーズ情報ダイヤル」みたいな感じだったと思います。まだ携帯もあまり普及していなくて、PHSやポケベルの全盛期の時代に、情報ダイヤルと書かれたそれは、魅力的なものでした。
そのチラシには文字がびっしり書いてあって、「○○くんの噂」とか「○○ファンの交流の場」的な表現で、各カテゴリにすべて電話番号が書いてありました。

この辺で察しの言い方は気づいたかもしれませんが、所謂ダイヤルQ2でした。

電話代はどれくらいだったかな。たぶん3分120円とか200円、それくらいしたと思います。(もっと高かったかも)
比較的早いうちから携帯を持っていたわたしですが、まだ通話料が高く、インターネットもあまり普及していないような時代だったので、ファン同士の交流が(わたしの周りでは)文通となっていました。
ペンフレンド募集とかそういう感じでコミュニティの輪が広がっていってたと思います。ペンフレ募集して、仲良くなって、現場で名刺交換をして、コミュニケーションを図るという時代でした。

そんな中、電話で情報が聞けるというのは画期的でした。
当時わたしはまだジャニーズJr.である桜井翔くんの担当で、学業優先な彼の近況が知りたいというピュアな気持ちを抱いていたと思います。翔くんはコンサートも地方にあまり出向かず、どちらかというと東京中心の生活で、テスト期間とかになってしまうと、半年間一切の露出がなかったりしてたんですよね。
その歩道橋で配られていたチラシにはすごく小さかったですが、桜井翔という名前もあり、ジャニーズJr.のカテゴリもあったので、興味本位で家の電話からダイヤルQ2にかけてみました。

中毒性のあるダイヤルQ2

わたしが聞いたのは、情報を提供する側が録音した声を、再生する側がカテゴリを選択していって聞くというものです。
驚くことにその共有ダイヤルにはかなりの人が情報を落としていました。今でこそ、各種SNSがあり、例えば目撃情報とか、身につけているアクセサリーとか、彼女の噂とか、ググったらたくさん出てくる時代ですが、当時はそういうのが少なく、地方住みで情報が乏しいわたしには夢のような情報源でした。

もちろんほとんどが噂止まりで、真偽のほどは誰にもわからない状況でしたが、インターネットでググる作業と同様、のめり込むと抜け出せないくらいにはまってしまいました。

如何せん、ダイヤルQ2です。情報量がかかる。しかも家電で、当時明細が細かく表示されていたので、最初の月、そのダイヤルQ2代だけで7000円はいっていたと思います。
親から、「これなに?」と聞かれ、「あぁ、ジャニーズの情報のやつ」と説明していましたが、ダイヤルQ2の知識が親にはなく、「あまり電話代かけないように」くらいの軽い注意でした。
ここで止めれば良かったものの、あれだけかけて7000円なんだ…という感覚になってしまったんですよね。で、その時のわたしは全然気付いていなかったんですが、ダイヤルQ2に電話をかけたのが月末で、締め日から近く、情報量があまり乗ってきてなかったんです。

翌月もわたしは電話を掛けていました。
情報はある程度たまったら昔のものが消され、新たに情報が追加されるというところてん方式で、1回最後まで聞いて、次の日情報が追加されていないか電話をして確かめるという日々が続きました。
止せばいいのに、ジャニーズJr.だけでは物足りず、デビュー組の情報も暇つぶしに電話をかけて確かめるような生活を送っていました。

ようやく1ヶ月経過し、新たに電話の明細が家に届いた頃、わたしは父親に神妙な面持ちで呼び出されました。机の上に広げられたのは電話の明細表。
そこにはダイヤルQ2の文字。そして、その横を辿っていくと金額が。

120000円。

わたしは目を疑いました。桁が間違っているんじゃないかとも思いましたが、そこに書かれた数字は紛れもない事実。
当時アルバイトをしていましたが、稼ぐお金なんてせいぜい5万円前後。高校生が払える金額ではなかったことだけは覚えています。

すげー怒られました。(そりゃそうだ。)

怒られてから、あの歩道橋でチラシを配ってた兄ちゃんはこれで食ってんだなと思いました。だから女子だらけの歩道橋で「ジャニーズ情報です」なんて声を張り上げながら配ってたのかと。兄ちゃんしてやったりですね。
わたしみたいに金を落とす人間がいるからそれがビジネスとして確立されていたんでしょう。高校生のわたしは兄ちゃんに飯を食わせていたわけです。
その後もコンサートではチラシを配る人たちを見かけましたが、一切受け取ることもなく、あの時の自分はなんて馬鹿だったんだろうかと後悔が続きました。

でもある日を境にそれは一切なくなりました。ダイヤルQ2で情報量を得ることが難しくなり、その数年後ダイヤルQ2自体が廃止されたようです。
インターネットの普及もあり、どのサービスにしても情報量を払ってまでも得る価値がなくなってきたんだと思います。

父親に怒られ、「これに懲りてダイヤルQ2に電話するのなんかやめよう」と思いわたしはまたピュアな女子高生に戻ったわけです。
ただどうしても情報が知りたい。一度味わったあの信憑性はないけど何か色々知った気になる感覚……どうすれば地方民でも情報を交換することが出来るかなと自分なりに考えた末、わたしは自分でコミュニティを確立しようと思ったんです。

それはまた別の機会で。